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2012年1月

2012年1月31日 (火)

ああめぐみ![聖歌593]

1

私たちは、神さまの一方的な愛と恵みによって
救われ、そして癒しと解放を経験し、
イエスさまの栄光のために生きることが出来るようにされました。

これはすべて神さまからの恵みによります。
ただただ賛美を捧げるほかありません。

ああめぐみ![聖歌593]

罪にみてる世界 そこに住むよびとに
「いのち得よ」とイェスは 血潮流しませり

ああ恵み! はかりしれぬ恵み!
ああ恵み! 我にさえおよべり

罪は海のごとく わが心おおえど
神はさらに強き 恵みもて救えり

ああ恵み! はかりしれぬ恵み!
ああ恵み! 我にさえおよべり

たれぞ我の罪を ことごとく洗ろう(お)は
見よ血潮はなれを 雪よりも白くせん

ああ恵み! はかりしれぬ恵み!
ああ恵み! 我にさえおよべり

たえにくしき愛を 限りなき恵みを
今ぞたれも受けよ ためらわずそのまま

ああ恵み! はかりしれぬ恵み!
ああ恵み! 我にさえおよべり

2012年1月30日 (月)

重荷をおろす

みんないろんなバックグランドをもって
教会に集まってきます。

でも、イエスさまを中心に集まるとき
そこに暖かい愛の交わりが生まれます。

なかなか人には打ち明けにくい過去の傷や痛みは
言葉に表現するまでには長い葛藤があったり
または恐れで感情を押し殺してしまったり
人それぞれ、生きていく中で抱えてしまいやすいものです。

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日曜日に証の中で

「・・・イエスさまは、そんな私を否定しませんでした。。。」

涙に声を詰まらせながら彼女が言った一言。。。

彼女の側でいつも優しく愛を注いで癒してくださっていたのは
イエスさまでした。。。

彼女の言葉にならない痛みや葛藤の前に
私たちはなすすべがなく、ただただ祈るばかりでした。

そんな中でもイエスさまは確実に私たちの祈りを聴いてくださり
そして彼女の心の叫びに耳を傾け
働きかけてくださっていたんだなぁと感謝が込み上げてきました。

イエスさまの言葉。。。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
   わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、
   あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
   そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28~30)

以前は人前で話すのが苦手と言っていた彼女ですが
その時は、自然にこのことを話そうと思えたそうです。

イエスさまは、確実に彼女の人生に良い影響を与え続けてくださり
そして、新しい一歩を、
イエスさまとともに踏み出す喜びを味わっている様子が溢れていて
とってもキラキラ輝いていました。

私たちを愛してくださっている方は、
その人の痛みや苦しみを本当によく知ってくださり寄り添ってくださる方です。

なぜなら、イエスさまはすべての痛み苦しみを通られた方だからです。

これを読んでくださっているあなたも
イエスさまの前に重荷をおろしてみませんか?

必ず、あなたの心に解放と喜びを、
そして、新たなる一歩への力を与えてくださいます。

お祈りしています。

2012年1月29日 (日)

私の地境を広げてください

今日も神さまの言葉から希望をいただきました。
感謝します!

それでは礼拝メッセージの一部を紹介します。

 

◆聖書:旧約聖書 歴代誌第一4章9~10節

◆説教タイトル:「私の地境を広げてください」

4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。
  彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、
  彼にヤベツという名をつけた。

4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
  「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。
  御手が私とともにあり、
  わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
  そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

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・近頃「ヤベツの祈り」として知られているところです。
ここにはヤベツの人生が記されています。

・ヤベツは「悲しみ、痛み」という意味です。
彼はまわりの人から不幸な人だと言われていました。
彼の人生に影響を与え、それを決定づけることがあったのです。

・しかし彼は神さまに呼ばわり祈りました。
それは、どんな理由、原因があっても、
神さまこそが自分の人生に最も大きな影響を与え、
自分の人生を広げて下さる方だと信じたからです。
彼は神さまの前に謙遜になって、自分の人生をゆだねたのです。
彼は神さまが自分の働きや影響を及ぼす所、
責任をもつところが広げられることを祈りました。

・ヤベツの人生は、神さまが願いをかなえてくれた人生と呼ばれました。
神さまは私たちの人生をも広げてくださいます。
そのためにイエスさまが救い主として来て下さいました。

 

2012年1月28日 (土)

救いの道

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第二の死から、人間を救うために、神は救いの道を造られました。

すべての人が罪人ならば、誰一人として、
この裁きを逃れることは出来ません。
自分の正しさだけで、神の前に正しいと認められる人は一人もいません。
しかし、神は人間が滅びることを喜ばれず、
人間を救うことを決められました。
それは、神が人間を深く愛しておられるからです。

多くの宗教は自分の善行や修行によって自らを向上させ、救いに至ろうとします。
しかし、真の神は、
自分を救いに至らせるような義の条件を満たすことができないというのが、
罪人の現実であることを知っておられます。

その上で、どんなに弱い人も罪が大きな人も救うための方法を示されました。
それは、神の側が一方的に救いのための条件を整えられ、
罪人はそれを信仰によって受け取るのみ、という方法
でした。
そのためにイエス・キリストは来られました。
そして、一人でも多くの人の名をいのちの書に記すため、
自ら大きな犠牲となってくださいました。
そのイエス・キリストの十字架の死について、次に学びます。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

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2012年1月27日 (金)

死と裁き 人生の総精算

聖書は、すべての人が死後にその人生の精算をすることを述べています。
この世で、法律に背くと、刑務所に入ったり、
それ相応の罪の代償を支払わなければならないのと同様に、
神の前にも、神の法に背いて生きていたなら、
その代償を求められます。

「すべての人は罪を犯したので、死と裁きに会います。」

聖書では第一の死と第二の死について教えています。

第一の死は、肉体と魂の分離であり、これはだれでも通ります。

第二の死は、もっと深刻です。
聖書は、人間は肉体が死んだ後、存在が無になるとは教えていません。
人は死んだ後、それぞれが神の前に出て、その人生を問われます。
そしてその結果、第二の死を受ける人々がいるのです。

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おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、
魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、
火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。(黙示録21:8)

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も
御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、
自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
                   (黙示録20:11~15)

 

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第二の死を受ける人が行く場所は、ゲヘナと呼ばれるところです。
神の前に罪を犯してきた人は、本来すべてここに行かなければならないと
聖書は語っています。
神を無視して生きてきた人生の結果を厳粛に考えなければなりません。
あなたは神の前に完全に正しい人生を送ったでしょうか。
一つの罪も犯さずに生きてきたでしょうか。
大きな罪も小さな罪も、神の前には罪です。
私たちは一人残らず、自分の人生の責任を問われるときが来るのです。

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2012年1月26日 (木)

松葉曄子さんの被爆ピアノ

今回、被爆ピアノ チャリティーコンサートで使用されるピアノは
東京銀座の小野楽器HORUGELピアノです。
1933年(昭和8年)佐藤曄子さんが8歳の時に購入されました。
曄子は1943年東京音楽学校に入学されますが戦局悪化のため帰郷し
軍医であった松葉卓郎さんとご結婚され
嫁入り道具としてピアノも新居の江田島海軍兵学校官舎に運ばれました。
1945年長女由美子さんを出産され、
卓郎さんが女川に赴任のため、
ピアノは広島市翠町の卓郎さんの実家に預けられました。

8月6日原爆投下。
曄子さん親子は、爆心地から少し離れた西区草津に疎開していたので無事でしたが、
ピアノは爆風で吹き飛ばされ、背面には無数のガラスが突き刺さり、
窓に面した部分は、放射線に直接晒され変色するなど大きな被害を受けました。
1951年卓郎さんの転勤とともに、ピアノも東広島、東京へと
常に家族と一緒に運ばれました。
2003年曄子さんが仙台に転居され
ピアノは背面の傷はそのまま残して修復され演奏が可能になりました。
2010年2月よりニューヨークでの平和コンサートに向けて貸し出され、
各地でのチャリティーコンサートに巡回されておられます。

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2012年1月25日 (水)

被爆ピアノ チャリティーコンサート

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67年前、広島の原爆で被爆したたいへん貴重なピアノを演奏いたします。
このピアノは2010年9月17日、国連平和デーにニューヨークの国連本部に運ばれ、
そこでコンサートが開催されました。
このピアノによる滋賀県でのコンサートはこれが最後となります。
小さなお子さんからご年配の方まで、音楽を楽しみながら、
平和について思うひとときになればと願っています。
入場料の一部をニューヨークでの活動の経費や
東日本大震災の支援金に充てさせていただきます。

教会に当日清算チケットがあります。
お支払いは当日ですが、前売りチケット同様割引(¥1,000)になるチケットです。
必要な方はメールやお電話などでご連絡ください。
後日郵送させていただきます。

日 時:2012年3月4日(日) 開演15時 (開場14時半)

会 場:当教会堂

入場料:(大人)当日  1,500円
         前売り  1,000円
      (中高生)       500円   
      (小学生以下)      無料


  
主催:国連平和デー被爆ピアノ平和コンサート実行委員会
http://hibaku-piano.com/index.html

後援:アッセンブリー大津キリスト教会

2012年1月24日 (火)

ひとつを

大好きな賛美です。
私も心から願っています。

『ひとつを』

ひとつを 我求む あなたの 家に住み

命の 日の限り 主を見ることを

主よ御顔 隠さずに 聞きたまえ 我が叫び

あなたは 我が力 おお主我が盾

ひとつを 我願う あなたを 見ることを

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私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。(詩篇27:4)

2012年1月23日 (月)

石巻焼きそば

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みなさん、「石巻焼きそば」ってご存知ですか?

宮城県石巻市にある(有)島金商店さんで製造されています。

被災地の支援活動をしておられた方にお聞きして
私たちの教会でも、少しでも支援になればと
日曜日のお昼にみんなでいただきました。

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石巻独特のせいろ2度蒸しタイプだそうです。
麺に少し焦げ目がつくまでじっと我慢。。。

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焦げ目が付いてきたらひっくり返して
特性の下味スープや具材を投入!

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いい匂い。。。

これに紅しょうがと半熟の目玉焼きは必須アイテムのようです!

それから
2つのこだわりの食べ方があるようで
ソースをかけずに、特製だしの風味を味わい。。。
また、後がけソースでパンチをきかせたり。。。

一度に2つの味を楽しみました♪

B級グルメにも選ばれているだけありかなり美味しかったです!

みなさんにも「石巻焼きそば」おすすめです♪

2012年1月22日 (日)

誰かのためにとりなす人となる

日曜日の礼拝メッセージをシェアします。

◆聖書:旧約聖書 創世記18章16~33節

◆説教タイトル:「誰かのためにとりなす人となる
                       ―アブラハム⑪」

18:16 その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。
    アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。
18:17 主はこう考えられた。
   「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、
   地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、
   彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、
   正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、
   彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで主は仰せられた。
   「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、
   彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。
   アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。
   「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。
   ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。
   その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、
   そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、
   あなたがなさるはずがありません。
   とてもありえないことです。
   全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
18:26 主は答えられた。
   「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、
   その人たちのために、その町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えて言った。
   「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。
   その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」
   主は仰せられた。
   「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。
   「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」
   すると仰せられた。
   「滅ぼすまい。その四十人のために。」
18:30 また彼は言った。
   「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。
   もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」
   主は仰せられた。
   「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。
   「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。
   もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」
   すると仰せられた。
   「滅ぼすまい。その二十人のために。」
18:32 彼はまた言った。
   「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。
   もしやそこに十人見つかるかもしれません。」
   すると主は仰せられた。
   「滅ぼすまい。その十人のために。」
18:33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。
   アブラハムは自分の家へ帰って行った。

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・私たちの人生にはとりなす人(間にとってとりもつ人)が必要です。
私たちが罪を赦され、救われるためにもイエスさまというとりなす方がおられました。
聖霊が今もとりなしておられます。
多くの人が祈ってとりなしてくれました。

・神さまは人を裁きから救い出すために、とりなす人を求めておられます。
アブラハムは甥のロトのためにとりなす人となり、その祈りは答えられました。
私たちも誰かのためにとりなすことができます。
そこには苦労もありますが、他と比べることができない喜びもあります。

・とりなす人には、アブラハムのように、
神さまの約束を信じて神さまと親しい関係をもつことが大事です。
罪の影響を軽視しないでよく理解し、かつ愛する心をもつことが大事です。
とりなして祈るときには、まず感謝することが必要です。
あきらめずに祈り続けるなら、私たちは多くの人を祝福することができるのです。

2012年1月21日 (土)

原罪

「すべての人は、罪を犯したので、
 神からの栄誉を受けることができない」(ローマ3:23)

アダムから、この罪の性質はすべての人類に受け継がれています。
一人としてここからもれる人はいません。
無垢な子どもであっても、誰も教えなくても嘘をつきます。
子育てをしたお母さんなら、みな小さな子どもの自分勝手さに振り回され、
イライラした経験があると思います。

聖書が「あなたは罪人です」という場合、
犯罪者という意味ではなく、もっと深い意味での罪の性質を言うのです。
そして人間の罪の最も根の部分を原罪と言います。

罪の種類

+犯罪・・・・・人を殺したり、物を盗んだりして、社会の法律に違反する罪。
      ・・これはすべての人に当てはまるとは限りません。

+道徳的な罪・・犯罪にまではならないが、人間の道徳に違反する罪。
        嘘をつく、浮気をするなど。
        他者を傷付けたり、迷惑を掛けたりすることになる。
        人によって、多少がある。

+原罪・・・・・神の法に違反する罪。
        生まれながらに、すべての人が持っている罪。

犯罪や道徳的な罪は、理解しやすいのですが、
神に対する罪という意識は普通、持つことが出来ません。
しかし、人間の持つ罪の本質は、神に対する罪です。

 ・神あっての自分の存在であることを知らない。
 ・生かされているのに、神に感謝しない。
 ・神を信頼出来ない。
 ・神でないものを神とする。(偶像や自分)

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              罪の構造

               原 罪
                ↓
                   自 己 中 心 性  と  高 慢
  ↓             ↓                 ↓
 神に対して        人に対して             自然に対して
●不信仰          ●盗み、姦淫、むさぼり       ●環境破壊  
  神を信じない      ●妬み、憎しみ、嘘、わがまま  ●動物虐待
  自分の判断が上   ●傲慢、高慢
●偶像礼拝        ●争い、中傷、意地悪、
  自分に都合の良い神  暴力、殺人
●不敬虔           ●不平、愚痴、怠惰、責任転嫁
  神に従わない      ●極端な自己保護
  神を敬わない

2012年1月20日 (金)

罪が人類に及ぼした影響

●神との関係を失う

人間は誰も自分の力だけでは神が分からなくなってしまいました。
今の私たちには神がはたしているのかいないのか、
明確に知ることが出来ないばかりか、いると信じたとしても、その神との関係は、
聖書にあるような愛に満ちた信頼関係ではないことが多いのです。

神に対する恐怖

私たちの中には、神は恐ろしい、怒らせたら恐い、罰を当てる、
などの感覚を持つ人は少なくありません。

本来、神を創造者、聖なる方、義なる方として畏敬の念という意味での、
信頼に基づいた健全な畏れを持つように造られた感覚がゆがみ、
単なる恐怖感となっています。

神に対するプライド

神に造られたにも関わらず、自分だけで生きているかのような生き方を
私たちはしていないでしょうか。
私には神は必要ないと思い込んでいる状態は、
自分が神になるということです。

創世記3:5で悪魔が人間に語りかけた偽りの言葉
「あなた方がそれを食べるそのとき、あなたがたの目が開け、
あなた方が神のようになることを神は知っているのです。」
この言葉は、悪魔が人間の心に
神への不信感とプライドを吹き込んだことを教えています。
そして、人間は神の言葉を信頼することよりも、
悪魔の言葉を信じて木の実を食べることを選択しました。
この選択は、神と人間の信頼関係を引き裂く決定的な出来事だったのです。

人間と神との関係は失われ、切れてしまっています。
このことを「霊的な死」と言い、聖書の創世記3:17
「これを食べるとき、あなた方は必ず死ぬ」という言葉は、
肉体の死ではなく、霊的な死を意味しています。

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●互いの交わりを失う

神との関係が断絶することにより、人間同士の関係も断絶しました。
創世記3:11~13を読むと、罪を犯した直後、
アダムとエバが責任をなすりつけ合っている姿が描かれています。
そして創世記4章では、その息子のカインが弟アベルを
妬みから殺害する事件が起こっています。

人間の中に生じた罪の性質は、いろいろな形を変えて現れてきました。
人間同士の基本的な愛と信頼の関係も、
罪によって自己中心的なものに変わってしまいました。

人間関係に生じる問題

・争い、対立・・・・・・・不必要な誤解や批判を好む

・利己的な搾取・・・・・他者を利用する。弱い者いじめ。
             性差別。一方的な愛情要求。

・人間関係の恐れ・・・本当の自分を知られることを恐れる。
             恐れや自信の無さから、他者を攻撃する。

・誤解・・・・・・・・・・・・真実、公平に人を見ない。決め付ける。レッテルを貼る。

人間関係の難しさは、私たちも身近に感じるところです。
皆さんはどのようなトラブルを経験したことがあるでしょうか。

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●自分自身との葛藤

人間は自己矛盾、自己喪失した存在になりました。
自らの内に葛藤を感じる存在。
自分で自分が分からない、
何をしたいのか分からない、
どれが本物の自分か分からない、などの葛藤を感じる人は少なくありません。

・自己欺瞞、自己陶酔、自己嫌悪、自己憐憫
・恥の意識、自己の喪失、不安

皆さんは今の自分をどう思いますか。
自分に満足しておられるでしょうか。
それとも葛藤を感じることがあるでしょうか。

●自然との関係が破壊される

「土地はあなたのゆえに呪われてしまった。
 あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。」創世記3:18

生活の苦しみがここから生じました。

また、世界を正しく管理する責任を果たせなくなっています。
今さえ良ければいい、自分が生きている間さえもてばいいという考え方が、
地球環境の破壊をもたらしています。

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●死ぬものとなった

人間は、神との関係の断絶という「霊的な死」だけでなく、
肉体にも死が入ってきて、いずれ死ぬ存在となりました。

創世記3:19「ついにあなたは土に帰る。」
創世記3:22「いま彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、
      永遠に生きないように。」

このときから、人間は時間をかけて肉体も弱り、
やがて死に至るようになったのです。

罪から来る報酬は死です。
しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

・・・つづく

2012年1月18日 (水)

指ではじいて かえるさんジャンプ!

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何やらカラフルなかえるたちを発見

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『指ではじいて かえるさんジャンプ!』

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早速、みんなで挑戦!

バケツをねらってかえるをジャンプさせるという単純なあそびですが
これが意外に難しくてなかなか入らない。。。

でもみんな果敢に挑戦を続けます!

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だんだんコツをつかんで入っていくと
みんな熱が入り、かなりの盛り上がり!

  

 

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終いには、バケツをひっくり返して、
その上にかえるを積み上げてしまいました。
これ、難易度高いです。。。

単純なあそびってほんと盛り上がりますね!
アイスブレイクにおすすめです!

2012年1月17日 (火)

良い意味で常識を越える

 

5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、
  あなたがたは聞いています。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。
  自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
  天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
  正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
5:46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。
  取税人でも、同じことをしているではありませんか。
5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、
  どれだけまさったことをしたのでしょう。
  異邦人でも同じことをするではありませんか。
5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
                    (マタイ5:43~48)

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イエスさまは時に常識を越えるようなことを言われます。
私たちも良い意味で常識を越えることが必要です。

どういう状況の中でも、不平不満を言わず
置かれているところで祝福を祈る。
これが出来たら本当に素晴らしいと思います。

でも、それが出来ないのが現状ではないでしょうか。
私たちの思いや考えは罪の力によって縛られているからです。

イエスさまが来て下さったのは、
その罪の束縛から私たちを解放するためであり
また、私たちが良い決断をすることができるようになるためです。

 

2012年1月16日 (月)

2012年がよい年になる秘訣②

日曜日の礼拝メッセージ
神さまの言葉から励ましとチャレンジをいただきました。
最高のメッセージを感謝します。
それでは、一部ですがシェアします。

 
 
◆聖書:旧約聖書 エレミヤ29章4~14節

◆説教タイトル:「2012年がよい年になる秘訣②」
 

29:4 イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
  「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
29:5 家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。
29:6 妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、
  娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。
  減ってはならない。
29:7 わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、
  そのために主に祈れ。
  そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」
29:8 まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
  「あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。
  あなたがたが夢を見させている、あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。
29:9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って偽りをあなたがたに預言しているのであって、
  わたしが彼らを遣わしたのではないからだ。
  ―主の御告げ―」
29:10 まことに、主はこう仰せられる。
  「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、
  あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
  ―主の御告げ―
  それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
  あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、
  わたしはあなたがたに聞こう。
29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。
  ―主の御告げ―
  わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、
  わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、
  あなたがたを集める。
  ―主の御告げ―
  わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

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・今日、読む聖書の出来事は、
紀元前606年、イスラエルの国が当時の超大国バビロンに攻撃され、
王をはじめ指導者たちが捕虜として連れて行かれた時のことです。
預言者エレミヤは、人々に、捕囚として連れて行かれた先でしっかりと生活し、
バビロンの祝福と繁栄のために働き、その地を祝福するように命じました。
敵国を祝福することは簡単ではありません。
でも自分たちがいる場所を非難したり呪ったりせず、
祝福することこそ神さまを信じる人たちにゆだねられていることなのです。

・なぜそうできるのでしょうか。
それは神さまがイスラエルのために立てておられる祝福の計画を
決して忘れることがないからです。
神さまはイスラエルを祝福することを知っておられる、
わかっていると言われています。
なぜなら神さまはイスラエルを愛しておられるからです。
神さまがわかっておられるので、私たちもいつでもだれかを祝福することができます。
これが今年の秘訣です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

思い、考えが新たにされるメッセージ

みなさんも聴きにきてくださいね♪

 

2012年1月15日 (日)

新しい年に期待

今日はウェルカム・サービスでした。
そして、礼拝の後は、持ち寄りで新年会をしました。

ゲームも大盛り上がり♪

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わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
―主の御告げ―
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)

私たちは2012年に期待しています。
イエスさまがおられるから希望を持つことが出来ます。

2012年1月14日 (土)

罪人として人間

聖書では、神は最初の人間をエデンの園におかれ、
人間と契約を結び、一つの禁止を置かれました。

「・・・取って食べてはならない。
それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」創世記2:17

それは神への信頼に基づいた服従のしるしでした。
しかし、人間はその約束を破り、善悪の木の実を食べてしまいました。
その結果、人間の中に罪が入ったと聖書は述べています。
創世記3章を読んでみましょう。

人間はもともと神のかたちが与えられ、
神と親しく交わりを持ち、自由で、互いに愛し合い、
世界を正しく治めるように造られていたにも関わらず、
その性質は、極端に損なわれてしまいました。
現在、私たちが「人間は素晴らしい」と感じるような性質を人間に見出せるのは、
損なわれていても神のかたちが私たちに残されているからです。

しかし、そのような素晴らしい性質は、いつも現される訳ではなく、
むしろ私たちの現実は「人間は醜い」と思うような姿ではないでしょうか。
それは罪が入ったことによって、尊い「神のかたち」は
極端に損なわれてしまっているからです。

私たちは創造されたときの優れた状態をいま失ってしまっているのです。

「人間にはキラリと輝くような素晴らしさがある、
 けれどもそれはずっとは続かない。
 同じ人の中に、素晴らしい部分と、恐ろしい部分が存在する。」

このような人間の矛盾した状態を、聖書は鋭く指摘しています。
そしてなぜそうなっているのかを説明しています。

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次回のキリスト教基礎コースでは、罪が人類に及ぼした影響について詳しくみていきます。

 

2012年1月10日 (火)

私は奇蹟を信じる

神さまへの賛美を捧げるとき
神さまの力、偉大さ、愛を垣間見ます。

私たちはきょうも神さまあなたを賛美します。

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「私は奇蹟を信じる」

私は 目を上げ 山を見上げる
私の 助けは どこから来るのか
山より はるかに 偉大な神の
奇蹟を 期待し 賛美を捧げる
私は 信じる 奇蹟が 今でもあると
私は 信じる 主イエスを 奇蹟の神を
賛美の中に おられるお方に
栄光と誉れ 賛美捧げる

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詩篇121 都上りの歌
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

この賛美は詩篇121篇を基に作られた賛美です。
時空を越えてひとつ心になって
神さまを賛美出来る喜びを感謝します。

 

2012年1月 9日 (月)

信仰の人と呼ばれたい

日曜日の礼拝メッセージをシェアします。

◆聖書:旧約聖書 創世記18章1~15節

◆説教タイトル:「信仰の人と呼ばれたい
   
                    ―アブラハム⑩」

・アブラハムもその妻サラも新約聖書では信仰の人と呼ばれています。

彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。
それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、
彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、
サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、
反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
(ローマ4章18~21節)

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、
子を宿す力を与えられました。
彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、
天に星のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
(ヘブル11章11~12節)

でも彼らはいつでも信仰の人だったのではありません。
子どもが生まれるという神さまの約束を聞いても、
彼らは信じることができず「笑った」と書いてあります。
しかし最後には彼らは神さまを信じ、その約束を信じ、奇跡を経験したのです。

・なぜ彼らは信仰をもつことができたのでしょうか。
神さまが彼らのところを訪れて、繰り返し約束を語り確認してくれたからです。
神さまの恵みは私たちを信仰に導いて下さいます。

・イエスさまの十字架と復活、
そして聖霊が私たちに与えられているということは、
私たちが罪のために信じることができない神さまの約束を信じ、
他の人の証となり励ましとなり祝福となる人生へ回復されるためなのです。

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毎週、教会では神さまの言葉による熱いメッセージを聴くことが出来ます。
是非、聴きにきてくださいね!

 

2012年1月 8日 (日)

片付けと大掃除

年末の大掃除というのが一般的ですが
私たちの教会はクリスマスの片付けと一緒に
この時期、感謝とともに大掃除をします。

新会堂が建って10ヶ月ちょっとですが
やっぱり手の届きにくいところなどが出てきます。

みんなで手分けして一斉にスタート!

お昼ごはんを済ませてから始めましたが
もうすっかり暗くなりました。

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(ガラス越しに中庭を撮ってみました。。。)

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それからそれから嬉しい差し入れ!
とっても美味しかったです。

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昨年は大活躍だったキッチン!

今年もたくさんの驚きを期待しています。。。

 

神さま!本当にたくさんの感動をありがとうございました。

 

2012年1月 7日 (土)

聖書物語かるた

お正月休み
子どもも大人も一つの部屋に集まって楽しいひととき。。。

きゃっきゃ言いながら、走り回っているかと思えば
色鉛筆を使って真剣にお絵描きを始めたり

時に大人たちも一緒にと
「ねぇー!かるたしよう!」
とお誘いを受けます。。。

覚えたてのひらがなを
たどたどしくも大きな声で読み上げる姿は微笑ましいですね。

シンプルなあそびは世代を越えて一緒に楽しめるのでおすすめです。

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中でも『聖書物語かるた』は
楽しく遊びながら、聖書を学べるすぐれものです。

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旧約聖書・新約聖書の主要なストーリーを網羅しています。

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それから嬉しいのが、絵札の裏にはその場面の解説付きです。

『聖書物語かるた』は [ いのちのことば社 ] から出版されています。
是非、子どもたちと一緒に楽しんでみてくださいね!

2012年1月 6日 (金)

真実の神 【神のご性格(パーソナリティ、道徳的属性)】

今回は、「真実の神」続編です。

 
2 神のご性格(パーソナリティ、道徳的属性)

  
●神は聖です。

レビ11:44、イザヤ6:3

これは、神が「すべての被造物から離れている」という意味と、
倫理的に聖いという意味です。
このことは神の最も根源的な性格であって、重要です。
神は私たちを限りなく愛してともにいてくださいますが、
「聖なる」方であって、被造物と解け合うことはありません。
また侮られるべきではありません。
私たちは造られたものとして、神に畏敬の念、畏怖の念を抱くものです。

 

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●神は義です。

イザヤ45:21、ナホム1:2~3

神は完全に正しい方であり、その正義の性質は一点の不義も汚れも許しません。
正義の根源であり、罪に対して必ず正しい相当の裁きをなさいます。

人間の中にある、道徳的な性質、善悪の感覚は、
この神の義という性質を与えられているためです。
(現在、堕落しているためこの性質は人間には著しく欠けていますが。)

日本の神々は、この点がかなりでたらめで、感情や気紛れで怒ったり、
野菜を備えてなだめられたりしています。
しかし、真の神は悪を完全に見抜き、一点の不義も許さず、
的確に怒り、正しく裁きを行います。
ですから、私たちは一人残らず、この神の義の前では失格者です。
人間の世界の悪に対しても、
最終的に神はそれ相当の裁きを下されると聖書は警告しています。
しかし、「神は怒るに遅く」とあるように、すべての人に悔い改める時間を与え、
忍耐深くそれを待っておられるので、いま現在、
この世界に神の義は完全に発揮されておらず、裁きは押さえられています。
しかし、だからといって神の義を侮ってはなりません。
(ペテロ3:8~13、ローマ2:3~11)

 

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●神は愛です。

ヨハネ3:16、ヨハネⅠ4:8~10、4:16

神は義なる方であると同時に、愛なる方です。
恵みと憐れみに満ちた方です。
その愛は人間がもつことのできる愛情をはるかに超えています。
人間の親が子に対してもつ愛情にまさって、神は私たちを愛しておられます。
だからこそ、私たちが罪人であっても、忍耐してくださるのです。
そして、私たちの人生に良いものを満たしてくださいます。

神の愛がもっとも表されたのが、
キリストの十字架の死によって私たちを救うことをされた点です。
どんな恐ろしい罪人も、このキリストの死のゆえに、
悔い改めれば赦しを受けることが出来ます。

  

:;;;:+*+:;;;:+*+神の義と愛は、両方妥協されることがありまん+*+:;;;:+*+:;;;:

 

もし、神が義だけなら、この世界はとっくに滅ぼされているでしょう。
私たちでさえ目を覆いたくなるような悲惨な事件が
この世界には数多く起こっています。
これを見て、義なる方が憤りを感じないわけがありません。
人の心の隅々までご存知の方が、その隠れた醜さに憤り、
この世界を滅ぼしたくなっても不思議はありません。
神が義であるだけなら、私たちはもう終わっています。

反対にもし、神が愛だけなら、この世界は非常に理不尽なものになります。
どんなに悪を行っても、全部無条件で赦されます。
この世界は悪がやりたい放題で、その責任は問われません。
神はそれを慈愛をこめて仕方なく見ておられることになります。
悪に対してその責任を報いることもありません。
そんな世界は希望がありません。

神が徹底的に義であり、徹底的に愛であるということは、
一見矛盾するようですが、実は非常に重要なことなのです。
私たちは、この両面を偏りなく認めなければなりません。
どちらかに極端に偏った神のイメージは、私たちの信仰を不健全なものにします。

  

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●神は真実です。

申命記32:4、詩篇100:5、ヘブル10:23、黙示19:11

神が真実であるとは、神は絶対に約束を守られるという意味です。
自然法則は、うっかり変わったりしません。
神はそのようにこの世界を造られたのです。
同様に、神の言われたこと、その約束は決して破られません。
そして、人間のように都合によって約束が守られなかったり、
つい忘れたりしません。
気分によって言うことがころころ変わったりしません。
また、神は決して偽りを言われない方です。
神が真実な方なので私たちは安心していられるのです。

Father  

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

 

次回のキリスト教基礎コースは
神さまを知ることの障害となっている『罪』についてみていきます。
このことを知ることは人生の解決への一歩です。
お楽しみに♪

2012年1月 5日 (木)

真実の神 【神の本質とその性質、能力】

神がどのような方か、聖書からまとめると次のようになります。

  

1 神の本質とその性質、能力

 

● 神は霊です。

ヨハネ4:24、ヨハネ1:18

神は霊であって、姿形を持ちません。
目に見えず、物質的な存在ではありません。
神は見える形では正しく表現できません。
形あるものは有限なものです。
形で神を表したものを「偶像」と言い、真の神はこの偶像を嫌われます。
(「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」
出エジプト記20:4、イザヤ44:12~19)

 

 

●神は永遠です。

永遠であるということは、単にずーっと存在しているということではありません。
神は時間の制限を受けないという意味です。
この世界は時間の法則にそって変化していきます。
時間の枠の中で、私たちは生活し、考えているので、
通常未来に起こることを前もっては知ることはできません。
しかし、神は時間の支配下にはおられないので、
(むしろ時間を作り、支配している方です。)
私たちにとってはこれから起こることも、すでにご存知です。
誰がこれから何をするかもご存知です。
聖書の預言が成就するのは、神が永遠であるからです。
神にとって偶然ということはありません。

神が計画を立てられるときも、時間の枠の外から立てられるのです。
ですから、私たちは自分の知性で神さまの計画について
完全に理解することはできません。

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●神は無限です。

無限であるとは、
神が空間の創造者であって、空間の支配を受けないという意味です。
また、あらゆる能力について、制限がないという意味です。

  

●神は自存です。

自存であるとは、神は自分だけで存在しているという意味です。
人間は自分の意志と力だけで、自分の命を保ち続けることはできません。
自分の意志で生まれたり、自分の意志で心臓を動かしたりはできません。
しかし、神は全ての存在の第一原因である方で、
自分で自分の存在を保っておられます。
神の原因となるものは存在しません。
「わたしは有って有るもの」とは、
神が自存であるという意味です。(出エジプト3:14

  

●神は全知です。

イザヤ46:10、ローマ11:33、マタイ10:29~30、ヘブル4:13
詩篇139:13

神は全てのことを過去、現在、未来のことまで知っておられます。
それが現実のものであれ、単に可能性のあるものであれ、
すべて永遠の初めから知っておられます。
また、目的達成のための最善の道も知っておられます。
ですから、神の計画されることには間違いがありません。
人間は全知でないので、時に神のなさることが理解できませんが、
神は最善のことをしておられるのです。

 

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●神は全能です。

イザヤ46:11、55:11、43:13、マルコ10:27

神はその欲するところをなんでもすることが出来るという意味です。
神は光よあれ。」という言葉をもって光を創造されました。
その力で、この世界を造り、また存在させておられます。
神にとって不可能なことはありません。

  

●神は不変です。

マラキ3:6

神の存在、性質、意志は変わらないという意味です。
神の立てられた計画と目的も不変です。

  

●神は遍在です。

詩篇139:7~12、エレミヤ23:23~24

神はどこにでも存在できるという意味です。
神は支配者として、この世界のどこにでもおられます。
この瞬間に日本にもアメリカにもいることができます。
世界のどこにも神はおられます。
ですから、私たちは世界のどこにいても、神の臨在に触れることが出来るのです。
しかし、このことはこの世界の全てが神の現れであるという汎神論や、
物に精霊(神)が宿っているという考え方とは全く異なります。
この世界の物質と神は完全に区別されなければなりません。
物質は神とはなりえないからです。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...

 

  
次回は、神のご性格(パーソナリティ、道徳的属性)についてです。
お楽しみに♪

 

2012年1月 4日 (水)

あそびのある暮らし

教会に、なにやら大きなおもちゃが。。。

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この前、Nくんが子どもたちにといって持ってきてくれました!
子どもたち、大はしゃぎ♪
Nくん!ありがとう!

子どもたちの笑い声につられて
大人もちょっと加えてもらいました。。。

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子どものおもちゃと思って侮るなかれ
ただの積み木じゃありません。

ビー玉がゆっくりとらせん状に回転しながら落ちていったり、
何種類ものレーンやキューブには、驚く仕掛けがいっぱい。
とってもダイナミック!

子どもだけでなく、大人も夢中になってしまう魅力がいっぱいです。

シンプルなあそびは、
子どもも大人も一緒に笑い楽しむことが出来てとってもいいですね。

みんなが集まるところにおすすめです。

  

2012年1月 3日 (火)

なぜいろいろな神が・・・??

『キリスト教基礎コース』今年も続けて見ていきましょう。

「私は神を信じています。」という人は、結構いますが、
それぞれの信じている神さまはいろいろです。

しかし、本当の神が存在しているなら、それはどのような方なのでしょうか。

また、世界にはなぜいろいろな神観があり、
いろいろな宗教が存在しているのでしょうか。

聖書からその答えを探してみましょう。

   

1 いろいろな神観

一言に神はいるといっても、この世界には実に
さまざまな神観があり、多様な宗教があります。

唯一神論・・・神はただ一人であるという神観。
       イスラム教、ユダヤ教

多神論・・・・多くの神々がいる。
       ギリシャ神話、八百万の神、アニミズム

汎神論・・・・宇宙は神の現れであり、全てのものは神である。
       ニューエイジ

理神論・・・・神は宇宙を創造して法則をもたせ、あとは介入しない。

キリスト教は、唯一神論の中に含まれますが、
正確には三位一体の神であり、単一的な唯一神ではありません。
三位一体についてはまた後に学びます。

多くの人は大体、上の枠組みの中で、
それぞれが自分なりの神のイメージを作り上げているものです。

   

2 どうすれば神を知ることができるのか?

この世界を創造した神は、目に見えない方です。
私たちは「神さまはいるんだろうな」と推測することはできます。
それは聖書にかかれているとおりです。

「・・・神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。
 それは神が明らかにされたのです。
 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
 世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、
 はっきりと認められる・・・」(ローマ1:19~20)

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(人間の推測や、祈りや、インスピレーションなどによっては
正確に神を知ることが出来ないことのあらわれ)

人間には自分の力だけで神について完全に知ることができません。
聖書では、人間には神のかたちが与えられた結果として、
神を求める心が存在していることを教えています。
また、ある程度、神の存在やその性質や力について、
この世界のものから知ることができるとも教えています。
しかし、人間が自分だけで真実の神を求めても、
正確に知ることができないため、さまざまな神観が生じることになりました。
その結果、この世界には色々な神さまが出来上がり、
色々な宗教が存在しています。
このことは、人間が自分の力で神に行き着く努力には
限界があることを示しています。

聖書では、人間が自分の力で神を知ることが出来ないのは、
罪を持っているため」と教えています。
罪のために、神が分からなくなってしまっているというのです。
だから、人間が考え出した宗教では神について正確に知ることが出来ない
という結果になっているのです。

神を本当に知るためには、
神がご自分から人間にご自分について教えてくださる必要があります。
聖書はそのためにあるのです。
私たちは神ご自身が、ご自分について語られたメッセージである聖書を通して、
神がどんな方か知ることができるのです。
(聖書のことを神学用語で特別啓示と言います。)
私たちは、自分の力だけでは、神について十分に知ることができないという
へりくだった態度で、聖書から聞く必要があります。

次回は、『真実の神』についてです。お楽しみに♪

2012年1月 2日 (月)

2012年がよい年になる秘訣

2012年、元旦礼拝のメッセージを一部シェアします。

◆説教タイトル:「2012年がよい年になる秘訣」

◆聖書:新約聖書 第1コリント10章31節

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、
何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

・新しい年がよい年になる秘訣があります。
神さまの栄光を現わすために」、神のために生きることです。
私たちはもともとそのように創造されているのです。

・私たちが神さまのすばらしさを現わすことは、
食べたり飲んだりといった日常的なことを通して、行なうことができます。
イエスさまが来て下さり十字架にかかられ復活されたのは、
私たちが神さまのために生きるためです。

・どうすれば神さまの栄光を現わすことができるのでしょうか。

①神さまの栄光を現わすことができるように祈ります。
  私たちは神さまの栄光の現わし方をまだわずかしか知りません。

②まわりの人々にとって益となることをします。
  他の人に行なうことは主に対して行なうことです。

③イエスさまを伝え、その人のためにとりなすことです。
  神さまのすばらしさを現わす喜びが増し加わるように。

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みなさんにとって2012年が良い年になりますようにお祈りします。

 

2012年1月 1日 (日)

元旦礼拝!

明けましておめでとうございます。

ブログを始めてまだまだ僅かですが、
みなさん楽しみに読んでくださっていること本当に感謝します。

「ブログ読んでるよ!」「とってもいいね!」などなど。。。
新年から嬉しい励ましの言葉に感謝でいっぱいです!

このブログを神さまの栄光のために用いてくださいと
新しい年の祈りとして捧げます。

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今日は、2012年1月1日(日)
元旦礼拝がありました。

1月1日が日曜日というのは、なんだか気持ちがいいですね!

新しい年のはじめにみんなで
神さまを賛美し礼拝し、また祈ることができることはとっても幸せです♪

ここ何年かの恒例になってきましたが、
新年の礼拝の時に、
一人ひとりに御言葉のプレゼント!

それぞれ、神さまに語っていただいた御言葉として大切に思い巡らします。

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みなさんにとって、2012年も神さまの祝福が豊かに注がれることをお祈りしています。

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