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2012年4月 2日 (月)

イエスさまと私の十字架―イエスさまにならっていきたい

◆説教タイトル:「イエスさまと私の十字架
              ―イエスさまにならっていきたい」

◆聖書:新約聖書 第一ペテロ2章18~25節

しもべたちよ。
尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。
善良で優しい主人に対してだけでなく、
横暴な主人に対しても従いなさい。
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、
神の前における良心のゆえに、
悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、
それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。
けれども、善を行なっていて苦しみを受け、
それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

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・イエスさまは私たちのために十字架にかかって下さいました。
イエスさまは神さまであるのに、
私たちでさえ経験したことがない苦しみを味わって下さいました。
それだけ私たちの罪が深刻だからです。
私たちはイエスさまの十字架を見て、
聖霊によって、自分の罪の実態を知ることができるように祈りましょう。

・イエスさまによって救われた私たちは、
イエスさまにならって、苦しみや障害や戦いがあっても、
善と愛を行うことができる生き方に招かれています。
そのためには状況を見極める知恵が必要です。
神さまのみこころを知る神さまとの親しい関係が必要です。

・私たちは、私たちへのイエスさまの愛を知り、
神さまが私たちの行ないに必ず報いて下さることを信じて、
困難があっても善をおこない続けることができるのです。

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