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2013年2月

2013年2月25日 (月)

できるものなら、と言うのか

◆説教タイトル:「できるものなら、と言うのか」

◆聖書 新約聖書 マルコ9章14節~29節

9:14 さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、
   その回りに大ぜいの人の群れがおり、
   また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
 
9:15 そしてすぐ、群衆はみな、イエスを見ると驚き、
   走り寄って来て、あいさつをした。
 
9:16 イエスは彼らに、
   「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。」と聞かれた。
 
9:17 すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。
   「先生。おしの霊につかれた私の息子を、
   先生のところに連れてまいりました。
9:18 その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。
   そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。
   それでお弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、
   お弟子たちにはできませんでした。」
 
9:19 イエスは答えて言われた。
   「ああ、不信仰な世だ。
   いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。
   いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。
   その子をわたしのところに連れて来なさい。」
 
9:20 そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。
   その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、
   彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。
 
9:21 イエスはその子の父親に尋ねられた。
   「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」

   父親は言った。
   「幼い時からです。
9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。
   ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」

9:23 するとイエスは言われた。
   「できるものなら、と言うのか。
   信じる者には、どんなことでもできるのです。」
 
9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。
   「信じます。不信仰な私をお助けください。」
  
9:25 イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、
   汚れた霊をしかって言われた。
   「おしとつんぼの霊。
   わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。
   二度と、はいってはいけない。」
 
9:26 するとその霊は、叫び声をあげ、
   その子を激しくひきつけさせて、出て行った。
   するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、
   「この子は死んでしまった。」と言った。
 
9:27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。
   するとその子は立ち上がった。
 
9:28 イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。
   「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」
 
9:29 すると、イエスは言われた。
   「この種のものは、祈りによらなければ、
   何によっても追い出せるものではありません。」

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・人生にはもちろん努力が必要です。
でもそれだけでは足りません。
神さまの奇跡が必要です。
 
・イエスさまがはっきりと教えておられるのは、
奇跡をとどめるものは不信仰だということです。
不信仰は、人間的な考えと議論に陥ってしまいます。
 
・反対に、信仰が奇跡につながります。
イエスさまを信じるとは祈ることです。
私たちは、息子の救いを願う父親のように、何度でも信じ直すことが必要です。
祈りが答えられなかったと思うこともあるかもしれません。
それでももう一度信じるのです。
 
・イエスさまのことばを聞き、
父親は、不信仰な自分を助けて下さいと願いました。
私たちは、問題や課題のために祈ると同時に、
神さまに対して謙遜になって、自分自身のために祈ることをしましょう。

2013年2月18日 (月)

イエスさまが教えてくれること

◆説教タイトル:「イエスさまが教えてくれること」

◆聖書 新約聖書 マルコ9章2節~13節

それから六日たって、
イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、
高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。

その御衣は、非常に白く光り、
世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。

また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。
すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。
私たちが、幕屋を三つ造ります。
あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。
彼らは恐怖に打たれたのであった。

そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、
「これは、わたしの愛する子である。
彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。

彼らが急いであたりを見回すと、
自分たちといっしょにいるのはイエスだけで、
そこにはもはやだれも見えなかった。

さて、山を降りながら、イエスは彼らに、
人の子が死人の中からよみがえるときまでは、
いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。

そこで彼らは、そのおことばを心に堅く留め、
死人の中からよみがえると言われたことはどういう意味かを論じ合った。

彼らはイエスに尋ねて言った。
「律法学者たちは、まずエリヤが来るはずだと言っていますが、
それはなぜでしょうか。」

イエスは言われた。
「エリヤがまず来て、すべてのことを立て直します。
では、人の子について、多くの苦しみを受け、
さげすまれると書いてあるのは、どうしてなのですか。

しかし、あなたがたに告げます。
エリヤはもう来たのです。
そして人々は、彼について書いてあるとおりに、
好き勝手なことを彼にしたのです。」

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・イエスさまが話されたことを
弟子たちがすぐに理解できたわけではありません。
でもイエスさまは何度でも弟子たちに教えられました。

・3人の弟子が山の上で見た光景も、
イエスさまが彼らに大切なことを教えるためでした。
イエスさまが教えて教えておられることは、
イエスさまをどんな偉大な人ともどんな出来事ともどんな問題とも
同格にしてはいけないということです。
イエスさまこそが神さまに選ばれ愛された特別な方であり、
私たちの救い主なのです。

・イエスさまが教えられたもう一つのことは、
イエスさまが殺されることは神さまのご計画であり、
それは十字架で終わるものではないということです。
イエスさまは復活される、
だからこそイエスさまの死もイエスさまの教えも
特別な意味をもつのです。
イエスさまは、私たちが弟子として生きようと思うなら、
大切なことを教えてくださるのです。

2013年2月11日 (月)

人生の逆説

◆説教タイトル:「人生の逆説」

◆聖書 新約聖書 マルコ8章27節~9章1節

それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。
その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。
「人々はわたしをだれだと言っていますか。」

彼らは答えて言った。
「バプテスマのヨハネだと言っています。
エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」

するとイエスは、彼らに尋ねられた。
「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

ペテロが答えてイエスに言った。
「あなたは、キリストです。」

するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、
彼らを戒められた。

それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日の後によみがえらなければならないと、
弟子たちに教え始められた。

しかも、はっきりとこの事がらを話された。
するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。

しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、
ペテロをしかって言われた。
「下がれ。サタン。

あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、
彼らに言われた。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。

人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

自分のいのちを買い戻すために、
人はいったい何を差し出すことができるでしょう。

このような姦淫と罪の時代にあって、
わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、
人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、
そのような人のことを恥じます。」

イエスは彼らに言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。
ここに立っている人々の中には、
神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、
決して死を味わわない者がいます。」

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・イエスさまを信じるとは、
「あなたはキリスト、救い主です。」と告白することです。
それは同時に、イエスさまについて行くことです。
私たちが行きたいところへイエスさまについて行ってもらうのではなく、
私たちがイエスさまについて行くのです。
イエスさまが私たちの基準です。

・それは自分を捨てて、自分の十字架を負うことです。
「自分なんて駄目だ」と自棄になり、ただ苦しんで
不幸な生き方をすることではありません。
自己中心をやめて、イエスさまとイエスさまの福音を
人々に伝えるために苦労や犠牲をためらわない生き方です。
これはイエスさまが私たちのためにして下さったことが
わかっていくときに、聖霊に助けられてできるようになります。

・なぜイエスさまについて行くのでしょうか。
イエスさまについて行くときに
私たちはいのちを救うことができるのです。
自分を捨てるときに、私たちの人生は新しくなるからです。

2013年2月 5日 (火)

イエスさまの弟子

◆説教タイトル:「イエスさまの弟子」

◆聖書 新約聖書 マルコ8章27節~9章1節

それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。
その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。

「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
 
 
彼らは答えて言った。
「バプテスマのヨハネだと言っています。
エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
 
 
するとイエスは、彼らに尋ねられた。
「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

ペテロが答えてイエスに言った。
「あなたは、キリストです。」
 
するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、
彼らを戒められた。

それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

しかも、はっきりとこの事がらを話された。
するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。

 
しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、
ペテロをしかって言われた。
「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」
 
 
それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、
彼らに言われた。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。

人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

自分のいのちを買い戻すために、
人はいったい何を差し出すことができるでしょう。

このような姦淫と罪の時代にあって、
わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、
人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、
そのような人のことを恥じます。」


イエスは彼らに言われた。

「まことに、あなたがたに告げます。
ここに立っている人々の中には、
神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、
決して死を味わわない者がいます。」

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・イエスさまを信じるとは、
「あなたはキリスト、救い主です。」
と告白することです。
それは同時に、イエスさまについて行くことです。
私たちが行きたいところへイエスさまについて行ってもらうのではなく、
私たちがイエスさまについて行くのです。
イエスさまが私たちの基準です。

・それは自分を捨てて、自分の十字架を負うことです。
「自分なんて駄目だ」と自棄になり、
ただただ苦しんで不幸な生き方をすることではありません。
自己中心をやめて、
イエスさまとイエスさまの福音を人々に伝えるために
苦労や犠牲をためらわない生き方です。
これはイエスさまが私たちのためにしてくださったことが
わかっていくときに、
聖霊に助けられてできるようになります。

・なぜイエスさまについて行くのでしょうか。
イエスさまについて行くときに私たちはいのちを救うことができるのです。
自分を捨てるときに、私たちの人生は新しくなるからです。

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