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2013年3月

2013年3月27日 (水)

イエスさまの苦しみが私を救う②

◆説教タイトル:「イエスさまの苦しみが私を救う②」

◆聖書 新約聖書 マルコ15章22節~41節

そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所
(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。

そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、
イエスはお飲みにならなかった。

それから、彼らは、イエスを十字架につけた。
そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、
イエスの着物を分けた。

彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。

イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。

また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、
ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。

{こうして『この人は罪人とともに数えられた。』
とある聖書が実現したのである。}

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。

十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、
イエスをあざけって言った。
「他人は救ったが、自分は救えない。

キリスト、イスラエルの王さま。
今、十字架から降りてもらおうか。
われわれは、それを見たら信じるから。」
また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちも
イエスをののしった。

さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。

そして、三時に、イエスは大声で、
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。
それは訳すと「わが神、わが神。
どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、
「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。

すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、
それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。
「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、
私たちは見ることにしよう。」

それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。

神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

イエスの正面に立っていた百人隊長は、
イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「この方はまことに神の子であった」と言った。

また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、
またサロメもいた。

イエスがガリラヤにおられたとき、
いつもつき従って仕えていた女たちである。
このほかにも、
イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

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・聖書(福音書)を見ると、
イエスさまの十字架と復活の1週間に多くのページを割いています。
でも十字架がどれほど残酷で痛々しいものであるかは
あまり書かれていません。
その代わりに、イエスさまがどれほど人々から理解されず
孤独であったかが表されています。
イエスさまは私たちも経験する孤独の苦しさと痛みを
自ら経験しておられるのです。
だから私たちの心を理解して下さいます。

・イエスさまの苦しみは、
神さまに信頼しながら神さまに捨てられるという苦しみです。
これは誰も経験したことがないものです。
イエスさまは神さまに叫ばれました。
それは私たちの身代わりとして、
本来は私たちが経験する苦しみと叫びを担って下さったのです。
そのおかげで、私たちは、神さまの子どもと認められ、
神さまがいつも一緒におられることを固く確信できるのです、
もし私たちがイエスさまを信じるなら。

2013年3月20日 (水)

イエスさまの苦しみが私を救う

◆説教タイトル:「イエスさまの苦しみが私を救う」

◆聖書 新約聖書 マルコ14章26節~42節

そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。

イエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたはみな、つまずきます。
『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』
と書いてありますから。

しかしわたしは、よみがえってから、
あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

すると、ペテロがイエスに言った。
「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」

イエスは彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。
あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、
わたしを知らないと三度言います。」

ペテロは力を込めて言い張った。
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、
私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」
みなの者もそう言った。

ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。
「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」

そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。
イエスは深く恐れもだえ始められた。

そして彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここを離れないで、目をさましていなさい。」

それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、
もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、

またこう言われた。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。
どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願うことではなく、
あなたのみこころのままを、なさってください。」

それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、
ペテロに言われた。
「シモン。眠っているのか。
一時間でも目をさましていることができなかったのか。

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。
心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。

そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。
ひどく眠けがさしていたのである。
彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。

イエスは三度目に来て、彼らに言われた。
「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。

立ちなさい。さあ、行くのです。
見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

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・イエスさまが十字架にかかる前日、
弟子たちは決してイエスさまから離れないと断言しました。
でも結果的に彼らはみなイエスさまを見捨てて逃げて行きます。
イエスさまがゲツセマネで苦しみながら祈っている時、
起きていることすらできませんでした。
したいと思うよいことができない弟子たちの姿は罪の結果であり、
私たちも同じです。

・イエスさまは尋常ではない苦しみと悲しみの中で祈りながら、
十字架で私たちの身代わりとなることへ進んで行かれました。
それが父なる神さまの願いだったからです。
イエスさまは父なる神さまから引き離されることになっても、
神さまに従われました。
それほどの犠牲だったからこそ、私たちは救われたのです。

・イエスさまを信じていくと、
神さまがよいと思われていることを知って、
そのことを実行するようになるのです。

2013年3月13日 (水)

塩けのある人

◆説教タイトル:「塩けのある人」

◆聖書 新約聖書 マルコ9章38節~50節

ヨハネがイエスに言った。
「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、
私たちの仲間ではないので、やめさせました。
{私たちの仲間になろうとしなかったからです。}」

しかし、イエスは言われた。
「やめさせることはありません。
わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、
すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。

わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。

あなたがたがキリストの弟子だからというので、
あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、
決して報いを失うことはありません。
これは確かなことです。

また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでも
つまずきを与えるような者は、
むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、
海に投げ込まれたほうがましです。

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、
それを切り捨てなさい。
片手でいのちに入るほうが、
両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、
あなたにとってよいことです。

{そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、
火は消えることがありません。}

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、
それを切り捨てなさい。
片足でいのちに入るほうが、
両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、
あなたにとってよいことです。

{そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、
火は消えることがありません。}

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、
それをえぐり出しなさい。
片目で神の国に入るほうが、
両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、
あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、
火は消えることがありません。

すべては、火によって、塩けをつけられるのです。

塩は、ききめのあるものです。
しかし、もし塩に塩けがなくなったら、
何によって塩けを取り戻せましょう。
あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。
そして、互いに和合して暮らしなさい。」

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・イエスさまは真実に大切なものに目を向けることを教えました。
弟子のヨハネは自分たちの仲間でもないのに
イエスさまの名前で悪霊を追い出している人を見てやめさせました。
ヨハネにはプライドがありました。
でもイエスさまは、とにかくイエスさまを信じることによって、
その人が救われることを大切にされたのです。

・さらにイエスさまが大切にされたことは、
どんな人でも、子どもでも、経験が少なく知識が少ない人でも、
イエスさまを信じている人をそのことによって大切にされました。

・さらに、イエスさまは、今ここで生きること以上に、
やがての永遠のいのちを大切にされました。
永遠のいのちを大切にするからこそ、
今の生き方が正しくなっていくのです。

・真実に価値あるものを大切にする人を、
イエスさまは「塩けのある人」と呼ばれたのです。

2013年3月 4日 (月)

誰が一番偉いか

◆説教タイトル:「誰が一番偉いか」

◆聖書 新約聖書 マルコ9章30節~37節

9:30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。
   イエスは、人に知られたくないと思われた。
 
9:31 それは、イエスは弟子たちを教えて、
   「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。
   しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」
   と話しておられたからである。
 
9:32 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。
   また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
 
9:33 カペナウムに着いた。
   イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。
   「道で何を論じ合っていたのですか。」
 
9:34 彼らは黙っていた。
   道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
 
9:35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。
   「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、
   みなに仕える者となりなさい。」

9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、
   彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
 
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、
   わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。
   また、だれでも、わたしを受け入れるならば、
   わたしを受け入れるのではなく、
   わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」

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・弟子たちはイエスさまの死と復活を理解できず、
自分たちの中で誰が一番偉いのか議論するので熱心でした。
実は高慢と自己中心のために私たちは制限され
自由を失って大切なことを悟ることができなくなっているのです。
私たちは自分の高慢さに警戒しなければいけません。
 
・イエスさまはそんな弟子たちを丁寧に教えられました。
高慢ではなく謙遜で、人に仕えること、
人を受け入れることこそ私たちの喜びになることを教えられました。
これはイエスさまご自身の生き方であり、行動でした。
 
・私たちが自分よりも誰かのために仕え行動するなら、
そのことをイエスさまはご存知です。
イエスさまが私たちのために死んでよみがえられたからこそ、
私たちも救われて、自分自身から自由になり、
イエスさまのように仕える生き方ができるのです。
ここに私たちの喜びがあります。

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