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2013年3月 4日 (月)

誰が一番偉いか

◆説教タイトル:「誰が一番偉いか」

◆聖書 新約聖書 マルコ9章30節~37節

9:30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。
   イエスは、人に知られたくないと思われた。
 
9:31 それは、イエスは弟子たちを教えて、
   「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。
   しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」
   と話しておられたからである。
 
9:32 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。
   また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
 
9:33 カペナウムに着いた。
   イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。
   「道で何を論じ合っていたのですか。」
 
9:34 彼らは黙っていた。
   道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
 
9:35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。
   「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、
   みなに仕える者となりなさい。」

9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、
   彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
 
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、
   わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。
   また、だれでも、わたしを受け入れるならば、
   わたしを受け入れるのではなく、
   わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」

Bsnch016

・弟子たちはイエスさまの死と復活を理解できず、
自分たちの中で誰が一番偉いのか議論するので熱心でした。
実は高慢と自己中心のために私たちは制限され
自由を失って大切なことを悟ることができなくなっているのです。
私たちは自分の高慢さに警戒しなければいけません。
 
・イエスさまはそんな弟子たちを丁寧に教えられました。
高慢ではなく謙遜で、人に仕えること、
人を受け入れることこそ私たちの喜びになることを教えられました。
これはイエスさまご自身の生き方であり、行動でした。
 
・私たちが自分よりも誰かのために仕え行動するなら、
そのことをイエスさまはご存知です。
イエスさまが私たちのために死んでよみがえられたからこそ、
私たちも救われて、自分自身から自由になり、
イエスさまのように仕える生き方ができるのです。
ここに私たちの喜びがあります。

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