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2013年7月

2013年7月31日 (水)

思い違いをしないために

◆説教タイトル:「思い違いをしないために」

◆聖書 新約聖書 マルコ12章18~27節

12:18 また、復活はないと主張していたサドカイ人たちが、
   イエスのところに来て、質問した。

12:19 「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。
    『もし、兄が死んで妻をあとに残し、しかも子がないばあいには、
    その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』

12:20 さて、七人の兄弟がいました。
   長男が妻をめとりましたが、子を残さないで死にました。

12:21 そこで次男がその女を妻にしたところ、やはり子を残さずに死にました。
   三男も同様でした。

12:22 こうして、七人とも子を残しませんでした。最後に、女も死にました。

12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。
   七人ともその女を妻にしたのですが。」

12:24 イエスは彼らに言われた。
   「そんな思い違いをしているのは、
   聖書も神の力も知らないからではありませんか。

12:25 人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、
   天の御使いたちのようです。

12:26 それに、死人がよみがえることについては、
   モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか、
   あなたがたは読んだことがないのですか。
   『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。

12:27 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。
   あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」

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・サドカイ人というグループの人たちは、聖書を信じ神さまを信じているのに、
イエスさまから「思い違いをしている」と言われました。
それは彼らが自分たちが受け入れることができる部分だけ受け入れ、
自分たちを超えた神さまの力を期待していなかったからです。

・聖書全体を神さまのことばとして受け入れ、従うことが大切なことです。
復活も死後のいのちもわかりにくいことかもしれません。
しかし、神さまのことばとして信じるなら、今ここで生きているだけの人生ではなく、
さらに大きく広い人生を生きることができます。
しかも神さまに愛されていることを確信して。

・神さまの力を経験すること、これは祈ることによって実現します。
そうするなら、「問題があってもそれは変わっていくものだ」と
希望をもっていくことができます。

2013年7月24日 (水)

神さまのものは神さまに

◆説教タイトル:「神さまのものは神さまに」

◆聖書 新約聖書 マルコ12章13~17節

12:13 さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、
    パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った。

12:14 彼らはイエスのところに来て、言った。
   「先生。私たちは、あなたが真実な方で、
    だれをもはばからない方だと存じています。
    あなたは人の顔色を見ず、
    真理に基づいて神の道を教えておられるからです。
    ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、
    かなっていないことでしょうか。
    納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」

12:15 イエスは彼らの擬装を見抜いて言われた。
    「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」

12:16 彼らは持って来た。
    そこでイエスは彼らに言われた。
   「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
   彼らは、「カイザルのです。」と言った。

12:17 するとイエスは言われた。
   「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
   彼らはイエスに驚嘆した。

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・ローマ皇帝カイザルに税金を納めてよいのかどうか、
イエスさまはそう質問されました。
イエスさまは「カイザルのものはカイザルに返しなさい。」と言われました。
上に立てられている権威や秩序を尊重し、
そのために祈ることはイエスさまは教えられました。

・イエスさまは「神さまのものは神さまに返しなさい。」とも答えられました。
神さまのものとは何でしょうか。それは私たち自身です。
私たちは目には見えない神さまの偉大さと愛を現わす存在です。
だから、誰でも価値ある存在と言えるのです。

・カイザルか神さまか、どちらかではありません。
すべてのものの上におられるのは神さまです。
私たちを愛しておられる神さまです。
目には見えなくても、神さまが世界も歴史も私たちの人生も
治めておられる方です。

2013年7月10日 (水)

祈り続ける時に

◆説教タイトル:「祈り続ける時に」

◆聖書 新約聖書 マタイ7章7~11節

求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。

また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、
どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

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・イエスさまがはっきりと教えておられることは、
私たちがあきらめずに祈り続ける時、
神さまがその祈りを聞いてくださるということです。
あきらめないことだけでも大きな違いを生むでしょう。
神さまは私たちを愛して下さるので、
イエスさまを信じることによって私たちを神さまの家族にして下さいます。
家族の声として私たちの祈りを聞いてくださるのです。
だからめげずにあきらめずに祈り続けましょう。

・祈るならまず私たちの考えや思いが広がります。
物事を違うように見ることができるようになります。
それだけではありません。現実に私たちの世界は広がっていくのです。

・祈りの目標は私たちの願いがすべて叶うことではありません。
祈りは神さまの願いがかなうためのものです。
祈ることで私たちは神さまをもっと知り愛することができるようになる、
これを目標にするなら、祈りの壁が打ち破られます。

2013年7月 3日 (水)

図々しい人にならないように

◆説教タイトル:「図々しい人にならないように」


◆聖書 新約聖書 マルコ12章1~12節

12:1 それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。
   「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、
    やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。

12:2 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、
   しもべを農夫たちのところへ遣わした。

12:3 ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、
   何も持たせないで送り帰した。

12:4 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。

12:5 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これも殺してしまった。
   続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。

12:6 その人には、なおもうひとりの者がいた。
   それは愛する息子であった。
   彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、最後にその息子を遣わした。

12:7 すると、その農夫たちはこう話し合った。
   『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。
    そうすれば、財産はこちらのものだ。』

12:8 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。

12:9 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
   彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。

12:10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
   『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
12:11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」

12:12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、
   イエスを捕えようとしたが、やはり群衆を恐れた。
   それで、イエスを残して、立ち去った。

Phisr012

・イエスさまはたとえ話を通して、
イスラエルの指導者たちが神さまの民であるイスラエルの人々を正しく導くのではなく、
図々しくも自分たちの立場を利用して自分の利益を求めていることを指摘されました。

・私たちも神さまから預かったいのちと人生を自分のもののように
考えてしまうことがあります。
神さまは私たちの自分の人生を幸せにするヘルパーになっていることがあります。
私たちの人生は神さまから預かったものです。
本来は神さまのものです。
私たちはこの事実を告白しましょう。

・たとえ話からわかることは、神さまがとても忍耐深いことです。
それは私たちを愛しておられるからです。
だから、神さまは、私たちが預かった人生が私たちにとっても喜びとなり、
私たちが神さまと人のために役立つ生き方ができるようにして下さいます。

・このような人生の土台、礎の石はイエスさまです。
だからイエスさまにますます信頼することが大切なのです。

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