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2013年12月

2013年12月17日 (火)

神さまを大きくしよう

◆説教タイトル:「神さまを大きくしよう」

◆聖書 新約聖書 ルカ1章46~55節

1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、

1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。

1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
   ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。

1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、

1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。

1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、

1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
   低い者を高く引き上げ、

1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。

1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
   そのしもべイスラエルをお助けになりました。

1:55 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」

・マリヤが歌った歌「マグニフィカト」は、
「神さまをあがめます」と言うことばから始まります。
あがめるとは大きくすると言う意味です。
私たちは、問題や悩みや心配より、自分がしなければいけないことより、
自分の好みや計画より神さまを大きな方として認めるのです。

・それはどういうことでしょうか。
マリヤはもともとの願いや計画とは全く違う神さまの計画に従うことを告白しました。
聖霊によって身ごもるなんて考えられないことでしょう。
でも、マリヤは、救い主が生まれ、自分の民イスラエル人が救われ、
神さまの約束が実現することを喜び、神さまの計画に喜んで従ったのです。
そして神さまの御子イエスさまの母親となったのです。

・マリヤは神さまが逆転して下さることを信じていました。
神さまの計画に従うことは逆転を経験することです。
なぜなら神さまは私たちを愛しておられるからです。

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2013年12月10日 (火)

プライドを超えたキリストの愛

◆説教タイトル:「プライドを超えたキリストの愛」
◆聖書 新約聖書 マルコ15章16~32節

15:16 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、
    全部隊を呼び集めた。

15:17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、

15:18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。

15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、
    つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。

15:20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、
    もとの着物をイエスに着せた。
    それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。

15:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、
    いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、
    むりやりに彼に背負わせた。

15:22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。

15:23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、
  イエスはお飲みにならなかった。

15:24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。
  そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。

15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。

15:26イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。

15:27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、
  ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。

15:28 {こうして『この人は罪人とともに数えられた。』とある聖書が実現したのである。}
         
  
15:29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
 「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。

15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

15:31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、
  イエスをあざけって言った。
 「他人は救ったが、自分は救えない。

15:32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。
  われわれは、それを見たら信じるから。」
  また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった

・イエスさまが十字架にかかることはたいへんな苦しみでした。
苦しみの一つは、人々が寄ってたかってイエスさまをからかい馬鹿にして罵ったことです。
イエスさまは人にとって大切な自尊心、誇りを打ち砕かれたのです。

・人々は「救い主なら十字架から降りてこい。」と言って、イエスさまを馬鹿にしました。
普通ならもう十字架から降りてくることはできないでしょう。
でもイエスさまはいつでもその気になれば十字架から降りることはできました。
イエスさまにはその力がありました。
それでもイエスさまは激しい痛みの中でも十字架に留まり続けました。
イエスさまは自分の誇りや自尊心や尊厳を犠牲にしてでも、
私たちの罪の身代わりになられたのです。
だから私たちは救われました。

・救われた私たちは、イエスさまのように、神さまを愛し人を愛するゆえに、
プライドや自尊心を犠牲にする自由をもつようになるのです。
愛するとはささげることです。

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