キリスト教基礎コース

2012年3月24日 (土)

キリスト教基礎コース ☆ まとめ ☆

キリスト教基礎コース
何度もみなさんに読み返していただきたいと思い
過去の記事を順番にまとめてみました。

神さまとの親しい交わりを求めるきっかけとなりますように。

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愛の手紙  LOVE LETTER to YOU
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/love-letter-to-.html

聖書の中身は?
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-db4b.html

聖書が世界に及ぼした影響【前編】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-fd0f.html

聖書が世界に及ぼした影響【後編】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-9c7b.html

聖書そのものの不思議さ【前編】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-2905.html

聖書そのものの不思議さ【後編】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-1308.html

聖書に関する聖句
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-6417.html

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神によって創造された人間【1】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-ee4a.html

神によって創造された人間【2】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-36f3.html

神によって創造された人間【3】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-165a.html

神によって創造された人間【4】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/11/post-352d.html

創造論について
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2011/12/post-6183.html

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なぜいろいろな神が・・・??
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-2dc5.html

真実の神 【神の本質とその性質、能力】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-9375.html

真実の神 【神のご性格(パーソナリティ、道徳的属性)】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-167d.html

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罪人として人間
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-7f34.html

罪が人類に及ぼした影響
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-5949.html

原罪
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-7812.html

死と裁き 人生の総精算
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-c2be.html

救いの道
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/01/post-b317.html

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救い主キリスト
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-7236.html

三位一体の御子なる神(1)
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-fe6b.html

三位一体の御子なる神(2)
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-5ad3.html

受肉
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-32ce.html

イエス・キリストの生涯
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-6b17.html

十字架
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-adf3.html

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信仰による救い
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-b94c.html

救い
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/02/post-c96a.html

救われたらどうなるか【1】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/03/post-8409.html

救われたらどうなるか【2】
http://aocc-church.cocolog-nifty.com/aocc/2012/03/post-e801.html

Jesus1

 

2012年3月18日 (日)

救われたらどうなるか【2】

5 神のかたちを回復してゆける。きよめられていく。

神の言葉に従って、神と共に生きることで、神との交わり、良い行い、
人間同士の愛、世界を正しく治めるなど、
人間本来の造られた目的に向かっていきます。
失われた「神のかたち」が回復していく人生に入っていきます。
それはあなたの中で新しい創造が始まっているようなものです。

しかし、クリスチャンになっても、私たちは即座に罪を犯さなくなるのではありません。
それを神はよく知っておられます。
私たちはそのたびに悔い改め、神の御心に生きられるように、
聖霊の助けを求めます。
聖霊の助けなしに、私たちは神の願われるようなものになれるのではありません。
自分の力で救われたのではないように、
私たちは自分の力だけできよくなることはできません。

クリスチャンになってからの悔い改めは、私たちを神に近づけます。
自分が神の御心を行えないことに直面するほどに、
それでも変わらない神の愛を深く知ることになります。
その中で私たちは絶望的な受容感を得て行きます。
そして、変えられるために自分の力でなく聖霊の助けを求めるようになります。
そのような神との正直な交わりが、その人を本当に変えていく力となるのです。
私たちは何度でも悔い改めるべきです。

私たちはみなキリストのように生きるものに召されています。
神との真実な交わりの中で、その人のうちに、
徐々にキリストのような人格を養って行くようになります。

 

6 その人の人生の目的を実現してゆく。

神が、私たちを「母の胎」に造られたとき、
その人には神が定められた人生の目的がありました。
それは個性的でその人が生き生きと生きるためのものです。
神は一人一人にそのような「運命」DESTINYを用意しておられるのですが、
罪のためにそれは歪められ壊されてしまっています。
その結果私たちは自分が何のために生きているのか分からなくなっているのです。
しかし、救いによって、その運命の種が私たちの霊のうちに植えられます。
そしてそれが少しづつ育って、私たちは自分のなすべき人生の目的を見出し、
それを生きるようにされます。

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私たちはイエス・キリストを信じて、救われた瞬間に、
新生し聖霊が内に住まわれます。

そして、生涯、クリスチャン生活を通して、神さまをよく知り、
罪の影響から解放され、自由にされ、きよくなり、
失われた神のかたちを回復していきます。
また、その人のDESTINYに向かって進んでいきます。

私たちが、遂に完全に罪の影響から解放され、
原罪がなくなるときは、再臨のあと、
私たちに新しい復活の体が与えられたときです。
それは救いの完成のときです。

信仰による救いを通して、神さまは罪人にあらゆる恵みを注ごうとされています。
なによりも、神さまの愛の大きさを本当に良く知ることができるのは、
クリスチャンになってからです。
それは素晴らしい特権です。

あなたは神さまの愛をどれくらい感じておられますか?

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「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、
あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さが
どれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」
( エペソ3:17~19)

2012年3月17日 (土)

救われたらどうなるか【1】

1 罪がゆるされて、天国に行ける。永遠のいのちを受ける。

クリスチャンは、神がその人を義と認めてくださるので、
信仰のゆえに必ず天国に行けます。
信じたときに私たちの原罪がなくなり、
もはや微塵も罪を犯さなくなるというのではありません。
クリスチャンであっても、私たちは罪を犯し続けます。
(故意にではありませんが)神が願われることをいつもは出来ない自分を知ります。
そのようなときにも、私たちの救いの確証は変わりません。
それでもイエス・キリストを信じている限り、ゆるされ、天国に行けます。

クリスチャンとは、罪を赦された罪人であって、
罪のないきよらかな人ではないのです。

赦しとは、神がその人を信仰によって義と認めてくださることなのです。(信仰義認)

Ca3j0991                             (キリストの義の衣を着せられた。)

 

2 聖霊が内に住まわれる。

「わたしは世の終わりまであなた方とともにいます。」と言われています。
クリスチャンになったときに、聖霊なる神が私たちの内に住まわれ、
私たちを神の御心に導いてくださいます。
私たちは神と共に生きるものとなります。

聖霊がともにおられるということを、
私たちは信仰生活の具体的な部分で、経験することができます。
聖霊との深い交わりについてよく知ると、
クリスチャン生活がより豊かで、ダイナミックなものにされていきます。

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3 罪の結果の束縛からの解放

その人の人生を縛っていた、いろいろの罪の影響から解放されて自由にされます。
霊的、精神的な束縛や悪習慣から自由にされることは重要なことです。
キリストの御名による自由が、クリスチャンには保障されています。

  

4 サタンに対する勝利

聖書には、霊的な存在として、天使と悪霊・サタンの存在を示しています。
天使は神に仕え、人を助けたり支えたりしています。
それとは反対にサタンとその配下にいる悪霊たちは、
人間を誘惑し、罪を犯させ、神から引き離そうと働いています。

「身を慎み、目をさましていなさい。
 あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、
 食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」(Ⅰペテロ5:8~9)

しかし、私たちはイエス・キリストの御名によって
あらゆる敵の力に勝利することが約束されています。
ですから、彼らを恐れる必要はありません。
その力の差は圧倒的だからです。
彼らの手段はいつも人をだますところから始まります。
彼らは自分たちが強いようにみせかけます。
ですから私たちはサタンの嘘に惑わされないように、
正しい神の言葉に堅く立つことが大切です。

「神に従いなさい。
 そして、悪魔に立ち向かいなさい。
 そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7)

2012年2月29日 (水)

救い

1 人間は自分で自分を救えません。

「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10)

私たちには自分の罪が赦され、神の十分義と認められるだけの、
正しい生き方が出来ません。

出来ると思っている人は、
一度聖書に書かれている神の教えを徹底的に守ってみるといいでしょう。
「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」
という言葉を守り続けることが出来るでしょうか。
自分の内側を正直に見つめたときに、罪の一点もない人などいないのです。

また、救われるための人間の努力には限界があります。
それは神の義を満たすほど十分ではありません。
ある人々は救いを得るために修行を積んだり、善行に励んだりするのですが、
聖書はそのような行いによっては誰一人救われることはないと教えています。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
 行いによるのではありません。」

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2 救いの方法

人間の罪を完全に処理する方法として、神が定められたのが、
イエス・キリストが身代わりになられる方法です。

神が人となり、罪の無い完全に正しい生き方をし、
罪ある人の身代わりに神の裁きを受け、
その人の罪の代価を全部支払うという方法です。

その方法で、私たちの罪はキリストの十字架の所に行き、
キリストの義が私たちの所に来るようにされたのです。

そして、私たちがすることは、自分の罪を悔い改め、
備えられた救いを信仰によって受け取ることのみなのです。

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十字架によってのみ渡ることが出来ます。

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Q&A  どんな罪も赦されるのでしょうか?

この救いの方法で、支払われたのは「神の御子のいのち」です。
これ以上高い犠牲はありません。
誰が何と言っても、神ご自身が身代わりの犠牲になられた以上、
その人の罪は残らず赦されます。
どんなに人間の罪が深く、また多くても、
赦しの効力の方が大きのです。

もしも、救われるために、何らかの償いや善行や修行やお布施などが必要であるならば、
条件によっては救われたくても救われないという人も起こるでしょう。
しかし、神はすべての人が、自らの救いを願って悔い改めるならば、
救われることが出来るように、
信仰によってのみ救われるように定めてくださったのです。

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3 救いを受けるために

○自分が罪人であることを認め、罪を悔い改める。

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)

○イエス・キリストを救い主として信じ、告白すること。

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、
 あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
 あなたは救われるからです。
 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9~10)

あなたも今、信じて祈ることによって、
キリストを受け入れることができます。
(祈りは、神に話すことです。)

神さまは、あなたの心を知っておられるので、
あなたがどんなことばで祈るかよりも、
どういう心で求めているかを見ておられます。
次のように祈ることによって、あなたも今、キリストを受け入れることができます。

「神さま、私は罪人です。今まであなたを知らずに生きてきました。
 あなたが喜ばれないことをしてきました。
 どうぞ私の罪を赦してください。
 イエスさまがこんな私のために十字架にかかってくださったことを感謝します。
 イエスさまを私の救い主として信じます。
 私をきよめてください。
 そしてこれからの人生をあなたの喜ばれることのために導いてください。
 イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」

これは、あなたの心の願いを表しているでしょうか?
もしそうでしたら、今、祈りましょう。
キリストは約束されたように、あなたの心に入ってくださいます。

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20)

2012年2月24日 (金)

信仰による救い

聖書は人間の素晴らしい価値と悲惨な現実、
高さと低さの両方を記しています。

高さ・・・人間は神のかたちに造られていること。
    また、神がそのひとり子さえも引き換えに犠牲にされたほどに愛されていること。
    これらのことは、これ以上ないほど、
    人間存在の価値が高いことをあらわしています。
    神はこれ以上高いものはないほど、
    人間を素晴らしく造られたのです(詩篇8:3~9)

低さ・・・しかし、聖書はそれほど素晴らしく造られた人間が、罪に陥ったとき、
    それがいかに悲惨なことかを教えています。
    自由意志を乱用し、知恵を悪用し、自己中心の性質により他者を傷付ける
    そして、最後には永遠の滅びに至る
    聖書は人間の罪の現実の悲惨な姿をごまかさずに、それを直視させます。
    そして、その罪から解放されるように導いています。

私たちは、人間について、イメージを持つ時、この両面を忘れてはいけません。
どちらかに偏ったイメージを持つ時、
私たちは自分や他者を正しく評価することが出来ません。
正しいセルフイメージを持つためにも、
両面をバランス良く知ることが必要です。

神は、この罪の結果である最終的な滅びから私たちを救い、
この失われ激しく損なわれている神のかたちを、
私たちにもう一度回復させるために救いの道をつくられました。
そのために、イエス・キリストは来られたのです。

Cehea096

2012年2月17日 (金)

十字架

福音書をよく読んでいくと、
自分に従ってくる人々の熱狂や、指導者たちの妬みと陰謀などをよそに、
イエスが非常に冷静に十字架の死を目指しておられたことがわかります。
それは人間を救うために、
その罪の代償を全部身代わりに受けることが、
受肉されたイエスの生涯の最も中心的な目的
だったからです。
当時、周りの人々はそのことを誰も悟りませんでした。

しかし、十字架の死というものは、簡単な出来事ではありません。
その体の痛みは創造を絶するものです。
(人としてこられたイエスは、私たちと同じ生身の体を持っておられたのです。)
十字架刑は、当時の死刑の中で最も痛みを伴う残酷な刑の一つでした。

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しかし、もっと深刻な苦しみは、父なる神からの断絶です。
イエスにとっての十字架は、人々の罪の身代わりでありました。
ここでは、イエスは罪人に下るはずの、神の最終的な怒りと裁きを
身代わりに全部受けられたのです。
単に体の痛みだけではなく、イエスはここで、神の怒りを受けておられたのです。
その結果、通常三日かけて死ぬはずのところが、6時間で亡くなったのです。
壮絶な苦しみであったことがここからもわかります。
三位一体の素晴らしい愛の関係を、父ともっておられた御子が、
その関係を引き裂かれて、神の怒りの対象となられたという苦しみは、
おそらく私たちに理解し尽くすことはできません。

そして、父なる神が、御子を裁かれたのは、
私たちを救うためであったことを、私たちは知らなければなりません。
愛する者が苦しんで死んでいく姿を、父が見ていてどのようなお心だったでしょうか。
聖書の中には、イエスの十字架の姿を見て、あざけり笑う人間たちの姿が書かれています。
このとき、義なる神が、いっそこのような罪を罪とも思っていない人間たちのほうに、
怒りと裁きを下してしまわれたとしてもおかしくありません。
しかし、それでも神は御子を十字架につけ続けられました。
それは、そのことをやめたら私たちが滅んでしまうからです。
このときイエスは十字架で
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
と最後まで、罪人のためにとりなしてくださいました。

私たちの知らないところで、私たちには想像もできないような神ご自身の痛みの中で、
十字架の出来事は行われていました。

世界の創造主、神である方が、
こんな小さな私たちのために、

ここまでの愛と憐れみをあらわしてくださったことは、
考えられないような出来事です。


「神は愛です」という聖書の言葉は、
この十字架にもっともよくあらわされているのです。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

2012年2月10日 (金)

イエス・キリストの生涯

1 その到来は、旧約聖書の中に預言されています。

  その家系  ダビデの家系から生まれる。(第二サムエル7:12~13)
  誕生の場所 ベツレヘム。(ミカ5:2)
  処女降誕  処女マリヤから生まれた。
          「見よ乙女がみごもっている」(イザヤ7:14)

  生涯と死  人々の罪を身代わりに負って死ぬ。(イザヤ53章)

2 その生涯

○誕生

  奇蹟的な誕生をもって来られた。処女降誕。

○幼年期

  知恵に満ちていた。(ルカ2:52

○神について、神の国について教えられた。

  イエスの教えは、今も多くの人々に影響を与えています。
  旧約のどの預言者よりも、神ご自身である御子が、最も分かり易く、
  明確に父なる神について解き明かしてくださいました。

○奇蹟を行われた。

  聖書には多くの奇蹟が書かれています。
  
  病人の癒し、悪霊の追い出し、パンを増やす、水をぶどう酒に変える、
  水の上を歩く、嵐を静める、死人を生き返らせる、など。
  
  通常では考えられないようなことが起こっていたので、
  人々はイエスのもとに殺到し、ユダヤの王にしようとまで考えていました。
  しかし、イエスはご自分がこの世界に来られた目的に向かって進んでおられました。
  それは十字架です。

○十字架で死なれた。

  群衆はイエスを慕っていましたが、
  当時の宗教指導者たちは、イエスを快く思っていませんでした。
  彼らは「妬んだ」と書いてあります。
  人々がイエスを信じるのを妬み、殺意を抱くようになり、
  イエスを殺す計画を立てます。
  それが十字架でした。
  イエスはそのことをご存知でしたが、そこから逃げず、
  彼らの陰謀を受けられ、処刑されました。

  イエスが十字架刑になったのは、何か犯罪を犯したからではありません。
  当時、裁判をした政治指導者のピラトは何度も
  「この人には何の罪も見つからない」と主張したのです。
  しかし、当時の宗教指導者たちの圧力から、処刑されるに至りました。

  十字架上でイエスが語られた言葉の中の一つに、ルカ23:34
  「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

  という祈りがあります。
  今自分を殺そうとしている人々の赦しのために
  祈ることが私たちには出来るでしょうか。
  ルカ23:33~48を読んでみましょう。

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○復活された。
  
  十字架にかかって後、三日目にイエスは墓の中から、蘇られました。
  これもまた大きな奇蹟です。
  しかし、イエスは十字架にかかるずっと前から、
  ご自分が殺されて三日目に蘇るということを語っておられます。
  (マタイ16:21、マタイ20:18~19など
  そして実際にイエスが処刑され絶望していた弟子たちの所に、
  イエスは体をもって現れたのです。
  ヨハネの福音書20章を読んでみましょう。

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2012年2月 5日 (日)

受肉

神であり、人である

神であ・・・「受肉」 神が人の形を取って来られた方。

ヨハネ1:1、14
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」

ヨハネ17:5
「父よ、・・・世界が存在する前に、
ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」

三位一体の御子なる神が、
人の姿をとってこの世界に来られたという出来事を受肉と言います。
マタイ1:18~25を読みましょう。
ここには処女マリヤからイエスは誕生されたと書かれています。
神は、神が人となるという出来事を、
処女降誕という奇蹟をもって実現されました。
処女がみごもるということは人間にとって考えられないような奇蹟です。
それほどに受肉という出来事は大きなことだったのです。

である・・・人間として誕生された。

イエスは、普通の人とまったく同じ人間としての肉体を持たれました。
神だから、疲れないというような体ではなかったのです。

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2012年2月 4日 (土)

三位一体の御子なる神(2)

父、子、聖霊の主な役割

父、子、聖霊なる神は、完全に一致し同じ目的をもって、
完全な協力をもって働かれますが、それぞれに、特徴的な働きがあります。

○父なる神は、創造と統治の主役として書かれています。

○イエス・キリストは、十字架で贖いの死を遂げるという、
 救いの完成において主役として書かれています。

○聖霊なる神は、宣教と教会形成、
 クリスチャンの成長に関わる方として主役です。

しかし、これらの働きは、それぞれがバラバラに担当しておられるわけではなく、
全ての働きに三位一体の神として、ともに働いておられるのです。

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間違った教えに注意する!

三位一体の教えは、人間が作り出した神観ではありません。
これは、人間の理解を越えているものです。
聖書の中にも、「三位一体」という言葉そのものは出てきませんが、
聖書に現されている神は、不思議な三位一体の神なのです。
クリスチャンは聖書に現されているのが、三位一体としての神なので、
人間の理性で完全に捕らえきれなくても、この神を信じているのです。

「三位一体の神」という神観は、非常に重要なものです。
理性で把握しきれませんが、これを受け入れることで、
聖書のいわんとするメッセージを、正確に受け取ることが出来るのです。
反対に、この神観をゆがめてしまうと、
聖書の言いたいことが、全く伝わりません。

キリスト教の異端といわれる、エホバの証人や統一教会では、三位一体を否定し、
神は父なる神だけで、イエスも聖霊も神ではないと、主張します。
初代教会の時代から、このような間違った教えは、はびこっており、
キリスト教会はいつの時代も、正しい神観を伝えるために奮闘してきました。
三位一体を否定する教えは、キリスト教によく似ていても、
結果的に救いの根幹の部分を大きく歪めてしまい、全く異なる教えとなります。
聖書はそれを「異なる福音」として厳しく警戒しています。
神は「父なる神」のみ、としたほうが、理性で分かり易いので、
その教えに惑わされる人々もいるのですが、
私たちは本当に聖書が伝えている神をこそ信じるべきです。

2012年2月 3日 (金)

三位一体の御子なる神(1)

三位一体とは

キリスト教では、「神は唯一である」「神はただ一人である」
という表現をしますが、その唯一の神は、
厳密にいうと「三位一体の神」として、聖書に教えられています。

それは、「父、子、聖霊の一人の神」なのです。

本質は一つですが、その一人のうちに、
三つの異なった位格(Persona人間でいえば人格のようなもの)を持っています。
「父なる神」
「子なる神(イエス・キリスト)」
「聖霊なる神」

では三人いるのかというと、そうではありません。
聖書では、この三つの位格を混同してはいませんが、分離してもいません。

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アタナシウス信条

「我々は、唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。
しかも、位格を混同することなく、本質を分離することなく。」

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唯一の神は、父、子、聖霊の三つの位格を備えています。
そして三つの位格でありながら、一つの本質と属性を備えています。
いつも一つの思いと目的をもって働かれる神なのです。
そこには人間の理解をはるかに超えた調和があります。
神としての本質も一つなのです。
それはひとりの神と表現して全く問題がないものです。

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     ★ ポイント ★

三位一体という言葉が表す内容の重要な点は、
神さまの中に
「関係がある、交わりがある」ということです。
父、子、聖霊なる神は、世界中のどこにもないほどの
愛と信頼の関係で結びついておられます。
世界を創造なさる前から、神の間には強い愛が存在していました。
そして、その溢れる愛をもって私たち人間を創造されたのです。
神は愛をもって人間を創造し、
そして人間同士も互いに愛し合うように「男と女に」創造されました。
人間はひとりで生きるように造られていません。
それは人間の中に存在する神の似姿「神のかたち」のあらわれでもあります。